今日で3月が終わりますね。
毎日3行日記のようなものをつけていて、1週間の振り返り、1ヶ月の振り返りをしています。
今年に入ってからの私は「気付き中毒」
気付いた!嬉しい!そうだったんだ!と、本当の自分に出会えて、なんだか人生が良くなっていくような気がしていました。
1月の私と比べたら、本当に成長していると思うのです。「自己理解」という点においては。
でもねー、自己理解を深めてもお金は増えないんですよね。
気持ち良いけど、それ以上進まないというか、多分、私がやらないといけないのは「自己理解」のフェーズじゃない。
自分にとっての100を頑張って作って、外に出して行かないといけない。100を目指して作るけど、60の内容でも出して出して出しまくらないといけないのです。
そうしたときに、多分、「うわ〜自分、マジで恥ずかしい」って思う瞬間があるのが目に見えてわかる。だから、足踏みしてる。
自分の内面を掘って、掘って、掘ってるけど、もう、そこには多分何にもないよ。出さないとわからないですよ、と自分自身に言ってる。
言葉にして、外に出さないと。
気付くのはもういいでしょう。
やれよ。
まだまだ恥ずかしさが足りないな。
もっと屈辱を味わわないといけない。
嫌だな〜
気付いた〜とか言ってる方が楽しいし気持ちいいし、なんか前に進んでる気がするからさ〜。
でも、「ぐぬぬぬ」ってなる時間が今の私の成長には必要なんだろうな、こう思えるのも、身体が緩んで整ってきたからなんだろうな。
身体がカチカチだと、そんなストレス耐えられませんからね。
ここでそうやって「決意」を書くけど、「決意」は気持ちいいんですよね。フローラさんも言ってた。やるんだよ。決意はいいから。目の前のことを。
「ぐぬぬぬぬ」ってなる恥ずかしいこと・・・
noteを書くこと?
YouTubeを撮ること?
うーーん。
そこまで恥ずかしくないな、
私が「ぐぬぬぬぬ」ってなるのは・・・一丁前に、プロみたいに、偉そうに話すことだな。
こういう時はこうなのよ。
私の正解はこれなのよ、と言い切ること。
これですね。恥ずかしいね。
間違っているかもしれないこと混みでね。
それでも言うのだ。
これが私の見えている世界で、これが正解だぞ、と。
明日からそんな記事を書いてみようかなあ。
恥ずかしいなあ。
わかることだけ書いてたら、
間違うとかないんですけどね。
でも、「私の100はコレ!えっへん!」って出したら
私の浅さが露呈してしまうのではないか、とか
思ってしまうのです。
隠せないのにね、隠したくなる。
取り繕いたくなるんです。
私の100はこれ!えっへん!をやってたら
慣れてくるのかなあ。
明日、めちゃくちゃ偉そうなnoteになるかもしれない。
これも実験、実験。
脱・謙遜。
脱・自己卑下。

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